あったかい季節がやってきて、
ブルーベリーは少しずつ色づき始め、その何とも言えないグラデーションが綺麗
可愛らしい花もよく見かける。
暖かい季節は、寒い時期と比べると、お外での集まりが増える気がする。
昨年、暖かい時期に大きな集まりがあった。
単身で来ている人、家族連れで参加している人、色々だった。
私は食事の手伝いをしていた。
顔をあげると、小学生の男の子と目が合う。
「どれでもつまんでいきなよ」と声をかけるも、黙ったままニヤリと笑うだけ。
ちょっとしてまた顔をあげると、すごく遠くからでもこちらを見ているよう。目が合う。
「何でも食べなよ〜」と声をかけても、黙ったままのニヤリ。
その後忘れ物をしていた私は大勢の人の中から外れ、ひとり忘れ物をした場所まで行った。忘れ物をゲットし、もといた集まりへ戻ろうと振り返ると真後ろにあの男の子が立っていた。
全く気づかなかったことと、真後ろについてきていた事に驚き、
「どうしたん?ここ何にもないよ?おばちゃん忘れ物取りに来ただけだよ。」
と伝える。
男の子はまた無言で変な笑顔を作ってもどっていった。
後で、男の子の父はアルコールが入ると家のものを破壊しまくっているとの噂を耳にした。
あの男の子は、得体の知れない不安を抱えていたんじゃないかな。そしてそれを誰かに気づいて欲しくて、安心感が欲しくて、助けを求めていたんじゃないかな。
家って本来子供にとって安心安全な場所で、外でどんなに傷つくことがあっても、嫌なことがあっても、お家に帰れば落ち着く、ホッとする、安心する、心と体が充電される場所であってほしいですよね。
もし噂が本当なら男の子にとって家は、落ち着かない、緊張する、気を遣う、怖い場所。
自分より体が大きく、何倍も力の強い人が訳もわからず暴れている。無力な子どもにとって本当に恐ろしいことですよね。
アホな私は、男の子に何か伝えられるチャンスをみすみす見逃したということ。
集まりのはじめに男の子のお父さんを見た時、すごく周りを警戒したような目つきの人だな〜って思ったのに、男の子の行動や笑顔を不思議に思ったのに、、
ここ最近になって、アルコール依存やギャンブル依存、DV、機能不全家庭の本やYouTubeをみることが増え、あの時もっと男の子やお父さんに対して違った関わり方ができたんじゃないかと思う。
知識や教養っていうのは、人より優れる為とか、自己の存在を主張する為のものでなく、本当に困っている人を瞬時に見極め、その人に望ましい関わりをする為にあるんじゃないか。
ギャンブル依存の人の借金を肩代わりしてあげるのは、もうこれで1からやり直せるだろうと本人を助けたつもりに思っても、依存症者のイネイブラーになってしまうだけ。
自傷をしてしまうと打ち明けてきた人に対して、自分を大切にしなよと説教するのも、その人の孤独やストレス、悲しみを余計に広げるだけ。
アダルトチルドレンが育った環境を振り返り、言語化している時に、甘えるなとか言うのも、その人の心を無視しているだけ。
色んな例を知り、相手の心理状態を想像できるようになって初めて相手の役にたてるんじゃないかな。
思いやりってそこからくるんだよね。
私は無知で想像力が乏しいな。
やっぱりヘレンケラーの
《知識は愛であり、光である そして無限の想像力の源泉である》
って言葉が好きだな。