暑さにやられて、蜂の巣が落ちた。
お裾分けしてもらおうと思っていた大量の蜂蜜は流れてしまっていました。
ミツバチにとってはせっせと働いて貯めたはちみつに自ら溺れて死ぬという惨事。
顔や形が出来始めていた新たな命も途絶えました。
暑さにより巣が壊滅した様子は、よくある事なのかもしれないし、実際どれぐらいの頻度で起こることなのか知らないけれど「異常といわれる気象に苦しむのは人間だけじゃないで」と教えてくれているような気がしました。
はちみつで溺れ死んでいる蜂たちを見ていると、津波、土砂に流されて死んでいく人間の世界が浮かんできました。
災害や病気、いつかは必ず死ぬ事など、悲しいことは沢山あるのに、どうしてわざわざ争い事を起こして悲しみを増やす必要があるんだろうと思いました。
誰の身にも悲しいことは必ず起こるのに、どうして更なる悲しみを増やさなくちゃいけないの?そんなに権力や領土が必要なの?そんなに自分の主張を押し通さなくちゃいけないの?色んな意見や信仰があるね、じゃいけないの?戦争なんて本当にいらないって。
悲しむべき時に悲しいことは起こるから、わざわざ自ら悲しいことを増やさなくっていいんだよ。欲張らないでって死んだ蜂が言っているような気がしました。
ちなみに巣落ちしている(外から見えない)ことに気付いたのはこども園帰りの娘で、「なんか蜂の様子がいつもと違う!」との発言からでした。
私はお迎えに行く前に、洗濯物を取り込んだりブルーベリーに水をやったりで、蜂箱の近くをウロウロしていましたが何も気付きませんでした。主人も別の車を運転して駐車場をウロウロしていましたが何も気づかなかったそうです。
大人になるということは、動物的な直感を衰えさせていくことなのかな。(あんたら夫婦が鈍いだけかもしれへんで。笑)
それならどうして子どもの意見を小さなものと捉えることができよう、もっと子どもの声に耳を傾けるべきなんじゃないか、それも尊敬の心をもって。大人は余計なものに目を眩ませすぎなんじゃないか、そんな疑問ばかりが浮かんできました。
ミツバチはいつも沢山の気づきを与えてくれます。
ミツバチ、ありがとう!また新たな生活応援してるぜ!